ハリー・ポッターシリーズで写真の中の人達が動いたり話したりしているのを見て、子供の頃はハリーポッターの世界の死生観がよくわからなかった。単純動作だけではなくて、ちゃんと現世と同じ時を過ごして記憶もしているようで、この世界に実質的に死は存在しないんじゃないかと思っていた。
このよくわからない感覚はすっかりおっさんになった2022年、大規模言語モデルの生成AIを触ったときに氷解したのだけど、要はあの魔法の写真も生前の大量の情報をもとにその人らしい行動や人格を生成しているんだということで腑に落ちた。「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。」ってやつですね。
最近よく見るデジタルツイン(デジタルの双子)という言葉はまさにこの魔法のことを指している。現実空間のモノをデジタル空間に再現して様々な計算の対象にするというものらしい。
デジタルツインは民主主義の拡張という壮大な構想の文脈でもよく出てくる。古くはMITのセザー・ヒダルゴが提唱しているものだ。間接民主制は民主社会が大きくなりすぎて認知的・物理的限界に達した末のいわば妥協策なので、なるほどAIでフィジカルの限界を突破できるのならもはや間接民主制を続ける理由もないなと思える。もう少し前に聞いたらSFだなぁ〜となっていたのが、ここ最近だと「あぁそれはなんかできそうですね」という感触になっているのも冷静に考えるとすごいことだ。
物理的な制約がない自分の分身にあらゆることをさせることができるので、フィジカル空間の自分の仕事はデジタルツインに対して自分の情報を与え続けることくらいになりそうだ。なんかそうなると現実世界の自分はセンシング担当であり、一体どっちの自分が正真正銘の自分なのかよくわからなくなってくる。今でもAR・VRと物理世界とデジタル世界の境界も今後ますますわからなくなっていきそうだなぁと思った。
とにかく、今の我々にできるのはserial experiments lainを見ることだけです。
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