ここ数年、ずっと欲しかったSigma fpを入手した。Sigmaの狂った思想が体現されていて、とても魅力的だった。ずーっと悩んでいた末、先日のSigma BFの発表で、これはもうSigmaについていくしかないとなった。あんな絶対使いづらいカメラ、Sigmaにしか出せないだろう。

試しに家の周辺で適当にパシャパシャしてみた。Sigmaのパウダーブルーでの撮って出しが気持ち良さそうだったのでJPG撮影。

いいじゃん!なんか上から撮るだけでそれっぽくなる。

ファインダーを廃したfpは案の定ピントを合わせるが結構難しい。うまく撮れてるかどうかのドキドキが増す。

ただの雑草がきれいに見える。まじで雑草なんだけど。

庭にあるよくわからん植物。ごちゃごちゃしてるけど下の葉っぱが光で葉脈が浮かび上がっていて美しいので単独で狙いたい。

90mmで寄る。木にへばりついてる謎の植物のディティールがキモくてとても良い。

鹿が通る獣道。

庭に椿が咲いていた。カメラを構えるまで椿の存在に気づかない自分が怖い。

fpはCinemaDNGでのRaw撮影が可能なんだけど、タイミング悪く脱Adobeを実施中でLightroomが使えない。Sigma Photo ProやOSSのdarktableを試しているが癖が強いのかまだ良くわからない感じだ。

意図したのよりもだいぶ黒くなってしまっている。

むしろ撮って出しオンリーで使う尖った運用のほうがfpには合ってるのかもしれない。​

インターネットをしているときが一番楽しいので、カメラで写真を撮るという目的を用意しないと外に出れなかった。カメラを手にしたのはあまりにインドアすぎて面接のときに趣味を聞かれたときになにか言えるようにしておこうという打算的なものだったのだけど、それが少しだけ自分の世界を広げた気がする。

大学生のときに買ったCanonのKiss X4は今では画素数でもスマホに負けている。レンズを使った写真はまだまだスマホで作ろうと思うと難しいとも思うのだけど、ポケットに入るiPhoneできれいな写真が十分撮れるので、大して写真がうまくないのに無限に金のかかるカメラよりもiPhoneで済ませたほうがよいのではと考えるようになり、次第にカメラを持ち出さなくなった。

ところが超高性能カメラであるはずのiPhoneは、いざ写真を撮ろうとすると「記録」でしか撮ろうとしない自分に気づいた。撮るときにいい絵が撮れる確率をあげるために画角内の要素を整理したりすることもない。

例えば、iPhoneの写真でこんな酔った文章を書く気にもなれない。急に自語りがはじまってびっくりしたかもしれないが、僕はfpを持っているのでそれが許されている。

fpを持ってどこに行こうかな、とワクワクしながら買ってから1ヶ月くらいずっと家にいる。